コラム(旅行記)
2025年10月 支笏湖・ニセコ・洞爺湖・函館 「グルメ旅」

北海道の積雪と熊を心配しながら、羽田空港に向かう。平日なので乗客は、ビジネスマンが多い。ANAの隣席の男性もおそらく仕事だろう。と考えながら、北海道ドライブプランを検討した。初めて借りる、レンタカー店では、外国人でごった返していた。
最初に立寄った「支笏湖ビューポイントパーキング」は雨のため、あまり感動はない。体はホットコーヒーを求めていたが、自販機はなぜか、冷たい飲み物ばかり。やはり北海道民は寒さに強いのか。その日に宿泊した旅館は、お客は少なく、露天は貸し切り状態。贅沢な非日常、まさに「極楽」だった。
翌日は、旅館を出て、洞爺湖へと向かう。洞爺湖ビジターセンター・火山科学館では、洞爺湖の成り立ち、車や鉄道レールが噴火で破壊されたことを学んだ。やはり自然は偉大だ。一路、大沼公園へと向かう。駐車場は家族連れや若いカップル、大型バスで混雑していた。外国人客も多い。公園内の散策コースを歩いてみる。熊はいないようだ。駒ヶ岳の噴火によって形づくられた大小の小島が美しい。紅葉が静かな湖面に映り、幻想的な景色を満喫することができた。お目当ての、夕食(根室花まる)を食した後、ホテルにチェックイン。函館山山頂へと向かう。予想した通り、頂上は大渋滞。しばらく、キラキラ輝く宝石箱「函館の夜景」を満喫したあと、下山バスに1時間待ち。天候に恵まれて大満足の一日だった。
翌日は、金森赤レンガ倉庫➡元町・八幡坂を散策➡美しい尖塔が目印の「カトリック元町教会」➡坂を見下ろす堂々たる洋館の「旧函館区公会堂」➡「旧イギリス領事館」➡ 車でレンガ造りの建物が美しい「トラピスチヌ修道院」➡車で五稜郭公園へ。五稜郭タワーからは、五稜郭の星型が眼下に眺めることができた。あの「榎本武揚」にも触れることができた。時間があれば、一日中楽しむことができる。函館奉行所を出発、レンタカーを早めに返却し、函館空港に向かう。北の大地に酔いしれる秋、を満喫しました。
2025年4月 安産祈願(中山寺・わら天神宮)を巡る2泊3日の旅

京都駅に到着後、レンタカーに乗り、一路、最初の目的地である「中山寺」に向かう。ここ中山寺は、古くから安産のお寺として知られている。皇室をはじめ、源頼朝、豊臣秀吉などの武家からも篤く信仰を集めた「中山寺」。聖徳太子が創建した日本最初の観音霊場と伝えられ、西国三十三所24番札所となっている。この日は、生まれたばかりの赤ちゃんを抱っこした、家族が多く来ていた。
「休暇村竹野海岸」に直行したかったのだが、遠方のため、ちょっと立ち寄り。「小田垣豆堂カフェ」では、人気の、黒豆茶 / アイス(黒豆菓子三種付き)、黒豆きなこのソフトクリームパフェを庭園を鑑賞しながら食した。創業200年超の老舗を実感することができた。
常宿の休暇村、「竹野海岸」の建物は古いが、キャンプ場もあり、いかにも「村」という存在である。鬼海老と地海老会席は美味。翌朝、休暇村周辺を散策し気分は爽快。山陰海岸のジオパークは見事だ。満喫した休暇村を出発し、海岸線を走行し、伊根の舟屋を目指す。伊根の舟屋は、大型GWの初日とあって、外国人観光客で混雑していた。小規模を想定していたが広範囲の湾に舟屋がある。外国人に人気があるのは理解できる。
次の目的地である天橋立「傘松公園」へと向かう。股のぞきは、「昇龍観」と呼ばれ、まるで龍が天へと昇って行くかのような眺め。と言われているが、何回見てもそのようには見えない。心が黄砂で曇ってしまったのか。
京都駅まで戻り、レンタカーを返却する。道中の高速道路は狭い。わら天神宮で安産祈願をして、龍安寺、二条城へと散策。左足首が痛む。牛歩のようだ。今回は、家族の安産を祈願する旅でした。
2025年3月 佐原・佐倉・成田への旅 ~歴史を学ぶ~

久しぶりに鹿島神宮を訪ねた。前回は何十年も昔のことでほとんど記憶にない。鹿島神宮の祭神は武甕槌大神(たけみかづちのおおかみ)で、武の神として古くから皇室や藤原氏の崇敬を受けてきたらしい。その後、武士たちからも厚い信仰を得、武術も盛んになり、その中には傑出した武術家も多く、代表的なのが塚原卜伝(つかはら ぼくでん)。宮本武蔵でさえ不可能だった生涯無敗を誇ったとされる無敵の剣豪である。境内には、透き通る湧水で禊(みそぎ)も行われる御手洗池や鹿園など、多くのみどころがある。奥宮に向かって程伸びる奥参道は鬱蒼(うっそう)とした巨木に覆われ、荘厳な雰囲気を醸し出している。
続いて、水郷の街、佐原の香取神宮に向かう。古くから国家鎮護の神として皇室からの御崇敬が最も篤く、特に『神宮』の御称号(明治以前には伊勢・香取・鹿島のみ)を以て奉祀されている。
今回の主目的地である、「伊能忠敬記念館」に向かう。伊能忠敬(左写真)は、江戸時代、日本国中を測量してまわり、初めて実測による日本地図を完成させた人。彼が偉大なのは、55歳から71歳まで10回にわたり測量を行い、その結果完成した地図は、極めて精度の高いもので、ヨーロッパにおいて高く評価されたことである。
夕食は、成田市のうなぎ専門店である“川豊”の伝統のうなぎの味を、ゆったりとした空間で楽しんだ。当日は、成田山近くのホテルに宿泊し、翌朝、いち早く成田山新勝寺に向かう。
次は、一路佐倉へ移動。国立歴史民族博物館へと向かう。歴史を簡単に学ぶため、と考えていたが、1~2時間では到底足りないことが判明。お弁当持参の一日コースだ。佐倉城址公園内を歩き、幕末の佐倉藩主「堀田正睦」の銅像で記念撮影。「堀田正睦」は幕府の老中としてアメリカ総領事ハリスと交渉、日米通商条約の幕府側責任者として調印に尽力した。蘭医学の採用や西洋兵法の導入、農政の刷新など、数々の藩政改革を実施した開明的藩主としても知られている。お弁当を持参し、また、国立歴史民族博物館に行こう。
2024年10月 大迫力の放水「黒部ダム」、栗と北斎の街「小布施町」を訪ねて


自宅から中央道・長野道の事故渋滞と格闘しながら、一路「安曇野」方面に向かう。「国営アルプスあづみの公園」では、秋晴れに咲く可憐なコスモスが満開中。小川が流れ、深呼吸が気持ちいい。年間フリーパスが欲しくなる。宿泊は常宿の「休暇村リトリート安曇野ホテル」。焚火を前に星を見ながら非日常を過ごすことができた。
翌日は、雲上の別天地と呼ばれる「立山黒部アルペンルート」へ。予想通り、インバウンド客で大混雑だ。扇沢まで車で行く予定が途中で通行止め。用意されたシャトルバスに乗り換えて扇沢まで運ばれた。扇沢では、予定していた終点「室堂」までのチケットが買えず、悲しくなったが、とりあえず「黒部ダム」まで行くことにした。日本一の高さを誇る「黒部ダム」の豪快な放水には圧倒された(左写真)。朝から青空が広がり、滅多に見られない「放水の鮮やかな虹」も見ることができた。難儀の上「室堂」までたどり着いたが、2450mは寒い。初めての乗り物リレー「立山トンネルトロリーバス」、「立山ロープウェイ」「黒部ケーブルカー」「関電トンネル電気バス」に感動する。単純だ!
最終日は、栗と北斎の街「小布施町」に向かう。ここでも、大混雑。北斎館のみ見学し、人気を誇るスイーツ「竹風堂マローネ」のソフトクリーム、ジェラートは最高でした。
2024年9月 徳川家康公を祀る「久能山東照宮」

今回の旅行は、徳川家康公を祀る「久能山東照宮」。富士山周辺は、何度となくドライブしているが、久能山東照宮は一度も訪れていない。日光東照宮ほど有名ではないが、自称「江戸時代ジャーナリスト」としては必見である。久能山東照宮への参拝は、酷暑のため、1,159段の表参道を登る方法ではなく、日本平山頂からロープウェイを利用することにした。東照宮とは神格化された徳川家康をまつるための神社で、全国に100社以上あり、その中で日光東照宮と久能山東照宮は二大東照宮と言われている。
歴史的には、1568年、武田信玄は久能山が要害であることを聞き久能寺を近くの北矢部に移し山上に城砦を設け久能城と称する。1582年、武田氏亡び、駿河の国一帯が徳川氏の領有するところとなったので久能山も自然徳川氏のものとなる。1616年、家康公の薨後、久能城を廃止し、東照宮を建立し現在に至る。
棟梁を担当した「中井正清」は、その生涯で名古屋城・仁和寺・二条城など現在にも残る重要な建造物を手がけたが、久能山東照宮は中井正清の晩年の傑作であるという評価から、平成22年に国宝に指定された。境内には豪華絢爛な唐門・社殿をはじめ、みどころが盛りだくさんでした。先人の匠の技の素晴らしさを、ぜひあなたの目でお確かめください。
次に、近くの日本平に向かう。ここには、富士山をはじめ駿河湾、静岡市内、伊豆半島などが一望できる展望フロアがある。天気が良ければ富士山を見ることができるのだが、残念ながら次回に期待している。
2024年5月 世界遺産の熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を巡る2泊3日の旅。

南紀白浜空港に到着後、レンタカーに乗り、円月島に向かう。円月島は海上に浮かぶ、真ん中にぽっかりと穴が開いた小さな島。続いて、千畳敷と三段壁洞窟へと向かう。美しい海と荒波、白い岩盤、大岩壁を散策すると、自然の神秘、造形美を体感することができた。無料の高速道路を経由して、串本海中公園へと向かう。串本の海では、色とりどりの熱帯魚、そして世界の北限と言われる本州最大のテーブルサンゴの群落など美しい海中景観を楽しむ。潮岬灯台は、本州最南端の灯台と言われ、灯台の上からは太平洋を見下ろすことができた。橋抗岩は、海の浸食により岩の硬い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見える。道の駅「くしもと橋杭岩」の、大自然を見ながらの ポンカンソフトクリームは美味、雲霞の如く、人が押し寄せていた。
旅の二日目、熊野古道(中辺路)、発心門王子から熊野本宮大社まで古道歩きの予定だったが、体調不良のため、断念。熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を車で狂奔することとなった。まずは、熊野古道の名所「大門坂」、「那智の滝」、「熊野那智大社」のお詣り。「熊野速玉大社」、摂社の「神倉神社」。これは「古道歩き」レベルではなく、「登山」とも言える急坂。神倉神社は、高齢者禁止の500段以上の急な石段を登る。老耄し体調不良時にはかなりきついが、チャレンジした。ちなみにこの階段を寄進したのは源頼朝だそう。熊野本宮大社から「大斎原(おおゆのはら)の大鳥居」、熊野本宮館へ。熊野川の中州であった大斎原はかつて熊野本宮大社があった場所。大水害により現在の場所に移築された。歴史を感じる。
旅の三日目。降雨の中、まずは紀の松島遊覧船からスタート。台風1号が近づく中、揺れる濡れる。遊覧船に外国人の姿はなく、私たちの貸し切り状態。荒天時なので最短コースのみ。紺碧の海に浮かぶ絶景、奇礁奇岩との出会いを二人で楽しんだ。 太地鯨の博物館には、鯨類骨格標本、古式捕鯨に用いられた道具、古式捕鯨を模したジオラマ、捕鯨の銛や大砲、などクジラと捕鯨のことが詳しく展示、解説されていた。京都大学白浜水族館では、南紀の海にすむ、たくさんの生き物の形や動きを、間近でじっくり観察することができた。
今回は、世界遺産・熊野三山を満喫する旅でした。
2024年4月 房総半島を一周ドライブ「自然と触れ合う」

花曇りの空を心配しながら、まずは千葉市若葉区にある「富田さとにわ耕園」に向かう。さすがに日曜日だ。駐車場は家族連れや若いカップル、大型バスで混雑していた。12万株のシバザクラや、小さな青の花ネモフィラが咲き、自然と触れ合うことができた。自宅の近くにこのような場所があったなら、・・・と思いつつ、耕園内の散策コースを歩いてみる。カエルの声も聞こえ、幼少期時代に戻ったようだ。
散策後、夕方まで時間があるので、九十九里浜方面へ。外房を経由して常宿の休暇村館山へと向かう。太平洋は白波が海岸に打ちつけている。波が荒い。昔の民は海を見ながら何を考えていたのだろうか。波乗りパーキングでは、中年ライダーたちが群れをなしている。
翌日、小雨の中、館山城・館山市立博物館へと向かう。月曜日は休館日。なので城山公園を散策した。ツバキ、ツツジといった様々な色合いで彩られる。月曜日の休館日にもかかわらず、シルバー客が多い。
お目当ての、木村ピーナッツのソフトクリームを食した後、車は東京ドイツ村へと向かう。ネモフィラ、ポピーが、春の訪れとともに、芝桜がフカフカとじゅうたんのように咲き始めている。ボート池の周りを淡く彩る景色は幻想的な風景を演出している。広大な斜面に咲き誇る花々は圧巻。お花と空の競演を、丘の頂上から一望できた。入園料の一人千円、駐車料金千円は、当初高いと思ったが、決してそうではなかった。
2023年12月 比叡山・琵琶湖ドライブ「終わり良ければ総て良し」

今回は、比叡山・琵琶湖へ向かう。まずは、京都駅から比叡山ドライブウェイを経由して比叡山延暦寺へ。中高生だった修学旅行のときは、ほとんど関心がなく何も覚えていないが、今回は、歴史小説の影響から興味を持つ。年齢のせいだろうか。仏閣が小さく見えた。
奥比叡ドライブウェイ、琵琶湖大橋を経由して彦根城へ向かう。車でかなり走る。やっとたどり着いた、大老井伊直弼の居城として伝わる彦根城天守は、国宝らしいが、それほどの感激はない。今まで多くの天守閣を見てきたからか。紅葉が見ごろで、外国人観光客で混雑する中、人気の「ひこにゃん」と写真を撮り、彦根城を去る。常宿の休暇村へ向かう。
翌日は、聖徳太子が開基したと伝わる「長命寺」から。この寺の名前からさすがに参拝客はご老人が多い。続いて、八幡ロープウェイを利用し、「恋人の聖地」と言われている八幡山頂上へ。八幡山は豊臣秀吉に自害させられた豊臣秀次の居城であった。頂上からは琵琶湖、旧城下町近江八幡を見渡すことができた。日牟禮八幡宮、有名な洋菓子店・和菓子屋に立寄り、休暇村のお勧め案内にあった「教林坊」へ向かう。ここの紅葉は「見事」という言葉しかない。竹林の中に、赤・黄色・橙色など各色のコントラストがこの世のものとは思えない。庭紅葉、紅葉むしろ、落ち葉舟など自然が創る別世界。改めて自然の偉大さを考える。平和な日本で生まれ、四季の中で生まれ、今、両目が見えることに至福を感じる。高級カメラのシャッター音があちらこちらで聞こえたが、写真ではすべて表現することができないでしょう。予定していた天橋立ドライブは悪天候のため中止にしたが、「終わり良ければ総て良し」。
2023年10月 また、行きたい!「三陸海岸と奥入瀬の旅」

今回の旅行は、久しぶりの東北。主役は、あの「奥入瀬渓流の紅葉」。言わずと知れた「紅葉の名所」です。
初日は、盛岡駅で、レンタカーを借りて、創業130年の歴史ある「小岩井農場」へ向かう。「小岩井」というのは地名と思っていたが、人名であることを初めて知った。それも3人(小野・岩崎・井上)の名前。目から鱗が落ちた。広大な敷地は、子どもたちの遊び場になっていた。熊出没のため、立ち入り禁止区域があったのが、とても残念です。
今日の宿は、休暇村「陸中宮古」。施設は古いが、事前情報から、食事に期待した。特に朝食の「瓶丼」。瓶に詰まった“宮古”の恵みをほかほかご飯にまるごとかけて。地元でしか味わえない新鮮で美味しい海鮮を食べることができた。海鮮が詰まった「瓶」は、当ホテルだけではなく、宮古の産業のようだ。
休暇村を出発して、驚いた。三陸道は工事中が多くナビが役に立たない。迷走しながら日本三大鍾乳洞の1つである「龍泉洞」に向かう。「ドラゴンブルーの地底湖が待つ、神秘の鍾乳洞」との解説に納得。探検気分を楽しんだ。
天気が心配であったが、なぜか旅行の最終日はいつも晴れなのだ。奥入瀬渓流は、ベストシーズンということもあり。外国人観光客で混雑していた。本来であれば、子ノ口から焼山までの14㎞を完歩するのだが、時間がないため、少しだけ散策することにした。清らかな水の流れと周囲の木々やコケむした岩が織りなす紅葉が、素晴らしい。これ以上、文章での表現が難しい。「奥入瀬渓流」は、数時間の滞在ではなく、数日間の滞在する場所なのだ。次回に期待したい。
2023年9月 富士山、「感動絶景」

9月の日曜日、常宿の「休暇村富士」に行く途中、「めんたいパーク伊豆」に寄る。ここに行くこととなった理由は、特に「明太子」に関する知識を仕入れるためではない。伊豆半島の未開拓地は、そこしか残っていないからです。人気の「めんたいパーク」は、日曜日ということもあり、家族連れで混雑しており、駐車場探しに苦労した。パーク内で、行列に並んだ後、食した「ジャンボおにぎり」は美味でした。さすがに明太子の具が多く、意外にご飯もうまい。コンビニの「明太子おにぎり」とは「別物」でした。皆様もぜひ、ご賞味ください。
その後、酪農王国「オラッチェ」を経由して、常連の宿「休暇村富士」へ向かう。もう9月なのに、休暇村は超混雑。いたるところに外人客が多い。ここは、相変わらず、施設は古いが、食事と景観がよい。食事はメニュー豊富で、魚が多く年配者向きかもしれません。客室、絶景風呂からは、富士山ビューの特等席。(曇りなので)時々見せる、日本一の「富士山」の表情を満喫しました。
冠雪富士もいいが、「富士山」には365日感動があります。いずれ、湖面に映る「逆さ富士」、夕日に染まる「紅富士」、1年のうち数日しか見ることができない「ダイヤモンド富士」を見てみたい。と思う旅行でした。
2023年6月 「飛騨高山」を訪ねて

先週、初めて「飛騨高山」を訪ねました。JR松本駅でレンタカーを借り、まずは、飛騨神岡にある「大坪酒造店」に向かいました。
道中、知人から聞いていた通り、トンネル内は暗くて道幅が狭く、とても緊張するドライブになりました。
「大坪酒造店」は、創業180年の酒蔵で、各種の受賞が目に入りました。世界が認める賞状も掲げてありました。店主の「時流に流されない誠意ある酒造り」を信念とした、真摯な姿勢に共感、酒蔵見学は価値ある時間となりました。
続いて、大雨警報の中、高山市に向かいました。高山市では、国の史跡に指定されている「高山陣屋」、建築技術や匠の技、当時の文化などを拝観しました。陣屋前朝市、宮川朝市も、朝から元気いっぱいになりました。時間がなく、「高山祭屋台会館」には行けませんでしたが、次回に期待しております。
白川郷では、外国人旅行客で混雑する中、築300年の重要文化財「和田家」など、世界遺産の合掌づくりを堪能しました。雨の中、タイムスリップしたような「白川郷」を満喫した一日でした。
最終日の上高地では、壮大は自然を体験、大自然に囲まれながら渓流を眺めて、身も心もリフレッシュしました。心配された熊との出会いもなく、無事散策することができました。
思い出に残る、「飛騨高山旅行」でした。皆さんも、ぜひとも訪れて見てください。